『解読・現象学の理念』を読む

 竹田青嗣の『完全解読フッサール『現象学の理念』』を読んでいます。

P22
 正しい認識というものが果たして可能なのか、可能だとすればいかにして可能か、という「認識問題」に真剣に取り組もうとするなら、われわれはまず、つぎのような大きな難問にぶつかる。それはつまり、「客観」と「主観」(=対象と認識)はいかに「的中(一致)」しうるのか、あるいは、一致しうる原理をもつのか、という問題である。


 なんて大層なことを言うから「フッサールは客観も分からないのか?」と思って、「じゃあ、私が客観を教えてやんよ?」と出した答えが「間主観」。でもそれはフッサールが考えたことだった。これが前回。

 で、100ページぐらいは読んでいたのだが、それは誤解したまま読んでいたということで、これはまた始めから読み直さなければならない、と思って。こんなだから私はまともに本一冊を読むことができない。
 で、読み直すのもこれはこれで苦痛だから、気分転換に、あとがき代わりの竹田青嗣のフッサール論を読んでみようと。

P244
 ある対象が確かに存在するという認識の「妥当性」は、現象学の議論から、どこまでも「主観的」な妥当性でしかない。しかしこの認識の確信が多くの「主観」に共有されるなら、この認識は「間主観的」となる。


 前回の記事のが、まさにそう書いてあった。

P204
 現象学とはそもそも何であるか。この問いをめぐって百説が流布している状態、これが現象学理解の現状である。


 人によって「現象学」という言葉を使ってやっていることが違う、と。

 エトムント・フッサールは1859年生まれで1938年没。
 日本で言うと幕末から昭和初期に生きた。西田幾多郎と同じ時代。
 そんな昔の人というわけではないから、話が分からないなんてことがあるのかと不思議に思うのだが。
 話が分からなければ聞けばいいじゃん。大学の先生をやっているんだから、いくらでも聞けるじゃん、と思うし、でも誰もフッサールの言うことが分からないのに、なんでフッサールは有名になったのか、それも不思議。
 まぁ西田幾多郎もそんな感じだが。
 そして私は何を言っているのかわからない本を解読するのが大好き。一種のパズルみたいなもの。

 「現象学的還元」「内在-超越」とかフッサール現象学は、意味がつかめない用語がたくさんあって難解。そしてその難解さが人によって違う「現象学」になっているのだと思うが。
 あれ?私、「現象学的還元」「内在-超越」とかぜんぜんわかるのですが。

 フッサールは現象学の応用で「本質学」というものを考えていた。

P277
 フッサールは『デカルト的省察』や『危機』など晩年の著作でも、「本質学」としての現象学の展開を試みているが、いずれの場合でも、現象学の基礎方法の再解説を繰り返していて、本質学の十分な展開というにはほど遠い。


 現象学における現象学的還元という方法を応用したのが「形相的還元」。
 その形相的還元を用いるのが本質学。

 知らなかった。
 私がこれまで「哲学」と考えていたものは、実はフッサールが完成させられなかった本質学だった、という驚き。
 現象学をまったく勉強したことがなかったのに、もうそれの応用である本質学を体得していたとは。さすが私。

 いやいやいや。
 スピノザが『エチカ』で、「喜びとは自己が大きくなることであり、悲しみとは自己が小さくなること」と言う、それが形相的還元の結果に出てきた「本質」です。
 すでに昔から哲学として、フッサールが言うところの本質学をやっていた人はいるんです。

 科学は「事実学」。哲学でも「クオリア」とか言い出したら、それは事実学。
 本質学こそが本来的な哲学、と言うフッサールは正しいが、でもフッサール自身が形相的還元ができなくて、本質学はとん挫したのだろう。

P249
 フッサールの記述は、ほとんどの場合、彼自身による<内在意識>の現象学的本質記述である。つまり、フッサール自身が自分の知覚体験や意味的諸体験を内省し、そこで「超越」が構成される構造の観取の、いわば内省的実況なのである。(中略)したがって読者は、フッサールの内省と平行して、自分自身もまた同じく現象学的内省を行うことができれば、そのことによってフッサールの議論の確度を直接に確認することができるはずである。


 「現象学的還元は誰にでもできる」と思っているみたいだけど、それが疑問。
 できないからこそ、フッサールの現象学は様々な批判を受けているのだと思う。

 本当はカントを読むつもりだったけど、フッサールのほうが面白そう。
 「連休中はフッサールを読もう」と思って図書館から借りてきたけど、フッサール自身の本は『デカルト的省察』しかなかった。他にあったのは解説本。
 読み終えたら「現象学的還元」とか「内在-超越」とかの説明をしていこうと思う。

↓クリックお願いします。
人気ブログランキングへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へblogram投票ボタン
スポンサーサイト

客観

 あれ?
 たしか竹田青嗣の『完全解読カント『純粋理性批判』』を読んでいたはずなのだが、竹田青嗣の『完全解読フッサール『現象学の理念』』を読んでいる。
 状況としては「現象」という言葉でつまづいて、「現象学」って何だ?というところなんですが。
 で、『解読・現象学の理念』は、まだ100ページも読んでいないのですが。

 客観(英:object、独:objekt)
 自分はリンゴについて「こう」思う。これは「主観」。
 他人も「そう」思うのであれば、それが「客観」。
 そして大勢がそれに同意するなら、それがよりたしかな客観。

 科学における学説(仮説)ってそういうものでしょ?多くの学者が同意する学説が主流となる。
 自分の主観が他人にも受け入れられれば、それは客観。
 多数がそう考えるであろうことを客観と仮定する。
 しかしそれはどこまで行っても仮説(主観)にすぎない。
 過去から未来永劫変わることがないと予想されれば「普遍」と言ってもいいと思うが。
 だから「リンゴの客観性」と言うとき、それはリンゴ(物自体)を問題にしているのではなく、「多くの人にはどう見えているのか?」という問題。

 それがフッサールの「間主観性」。
 らしい。というか、まだ『解読・現象学の理念』では間主観性という話が出てくるところまで読んでいなくて。
 でも「客観」という言葉は出ていて、その「客観ってなんだ?」と考えたら、「それは科学での仮説だろう」となって。
 「自分の主観と他人の主観で客観になる」。と思ったときに、頭に浮かんだ言葉が「間主観」。
 「そういう言葉があったよな」とネットで検索したら、フッサールの用語だった。

 間主観性(英:intersubjectivity、独:intersubjektivitat)
 「相互主観性」「共同主観性」とかいろいろあるが、それは訳し方の問題。

 つまりフッサールが「客観とは間主観性である」と言って、それが科学での判断基準になった。
 主流の学説でも、それは大勢が支持する仮説にすぎない。
 で、私は「客観とは科学的な判断の仕方だろう」と思ったら、その科学の判断方法がフッサールが言い出した間主観性だった。
 フッサールの掌の中でぐーるぐる。

↓クリックお願いします。
人気ブログランキングへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へblogram投票ボタン

ワンダーランドウォーズ・C5昇格

 まぁ、1か月に1回の更新だと、それもアレなんでゲームの話をしますが。

 SEGAのアーケードゲーム『ワンダーランドウォーズ』。
 パソコンゲームではよくあるMOBA(マルチプレイヤーオンラインバトルアリーナ)。『League of Legends』なんかが有名。
 私はそれじゃなくてSEGAの『カオスヒーローズオンライン(CHO)』をちょっとやっていたが。
 ただCHOはプレイヤーが殺伐としていて。基本料金はタダなのに。

 で、ワンダーランドウォーズは4対4の多人数対戦。
 ゲーム開始時はレベル1から始まって、ミニオンとか相手側のキャラ(キャスト)を倒してレベルを上げていく。
 レベルが上がるとスキルが使えるようになったり、装備品の効果が発動したりしていく。
 で、進軍ルート(レーン)がいくつかあって、その途中に拠点(塔)があって、それを破壊する(塔を折る)と相手チームゲージを減らせる。レーンの最奥には敵の城があって、それを攻撃してもチームゲージを減らせる。

 キャストは3タイプあって、1)ミニオンを倒すのが得意なファイターと、2)相手キャストを倒すのが得意なアタッカーと、3)味方キャストの回復とかできるサポーター。
 ずっとファイターの「サンドリヨン(シンデレラ)」を使ってきたが、相手が使うアタッカーの「ミクサ(マッチ売りの少女)」が強いと感じてミクサに乗り換えたのだが。
 レベル2から使えるフレイムショットはミニオンを掃除するのに役立つ。ファイターのサンドリヨンよりも速く掃除できる。
 サンドリヨンだとメインがドローショット(曲線攻撃)だから、ミニオンを狙うか、と見せかけて相手を狙うか、なんて考えないといけないが、ミクサだと、フレイムショットを撃って、MPが回復するまでストレートショットで処理して、と考えることが少なくていい。
 でも。
 評価が「兵士撃破数1位」ばかりで。
 相手キャストを倒す動きができていない。というか分からない。

 これだったらサンドリヨンのほうがいいのかな、と思って。
 ミクサはHPが低いから、どこかでHP回復のために帰城しないといけない。
 それが1対1のレーンで、相手キャストを倒していないのに帰城したら塔が折られてしまう。
 その点、サンドリヨンは自分のHP回復スキルがあるから、前線で粘っていられる。
 相手もサンドリヨンならこう着してしまうが、HP回復手段がないキャストだったら、帰城させればそのスキに塔を折りに行ける。
 そんな感じで「撤退数0」を目標にやっています。主武器はHP回復の「アッシュヒール」。
 勝ち負けは、お味方様の頑張り次第。

 で、D1→C5昇格試験をクリアしました。
 味方からのnice評価も影響するが、3勝すれば昇格できるのかな。

↓クリックお願いします。
人気ブログランキングへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へblogram投票ボタン

眩暈SIREN

 スクリームって好きじゃないんですが、↓これは聞ける。


↓クリックお願いします。
人気ブログランキングへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へblogram投票ボタン

日記

 対面のミクサに負け続ける日々ですが。

 ↑A1の動画。
 私はD2で、ぜんぜん比べ物にならないのですが。
 ミニオン(小さい兵士)を狩ると思わせて、相手を狙っていくドロー(曲線)攻撃が上手い。


 カントの『純粋理性批判』。
 物自体の「英知界」に対する「現象界」。
 その「現象」ってなんだ?という話で。

 物を認識する。
 しかし物自体を認識することはできず、それは経験によって加工されたもの。
 それが現象界。自分の中の内面的世界。
 まぁ、これは分かる。こういう考えは嫌いじゃない。

 で、現象界というのは、もともとプラトンが言っていたことで。
 「イデア界」に対する「現象界」。

 そういう風に一般的に言われているが。
 あれ?プラトンって直接、「イデア界」とか「現象界」なんて言っていたっけ?と思って。
 カントの『純粋理性批判』を読むつもりがプラトンの『パイドン』を読みだして。

 パイドンでは「魂の不死」とか「形相(イデア、エイドス)」とは言っているが、そういう世界があるという話ではない。
 「イデア界」とかはプラトンの『パイドロス』だったっけ?
 とか思ってしまって、なかなかカントの『純粋理性批判』を読むところまでたどり着けない。

↓クリックお願いします。
人気ブログランキングへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へblogram投票ボタン