思考実験/アキレスと亀2

 ↓『頭の中は最強の実験室』P25
 1647年イエズス会のグレゴリーは「アキレスと亀」について、アキレスが亀に追いつくまでの時間を次のようにして求めています。
 簡単のために、(中略)アキレスと亀の速さをそれぞれ毎秒2mと毎秒1mとし、亀はアキレスの前方1mからスタートすることにする。この位置をX0とする。アキレスが亀の位置に来るまでには1m移動するわけですから1/2秒かかる。このとき亀は1/2m先に進んでいる。この位置をX1とする。次にアキレスがX1まで追いつくには、1/2m進めばいいわけだから、1/4秒かかる。このとき亀はさらに1/4m先に進んでいる。最初の位置からだと1/2+1/4m位置である。時間はというと最初のステップで1/2秒、次のステップでは1/4秒である。以下同様に繰り返すので、n回目には、
 1/2+1/4+1/8+1/16+……+1/2^n
となる。これは等比級数というもので、その無限個の和は1に収束する(どんどん近づいていく)。
 lim n→∞(1/2+1/4+1/8+……+1/2^n)=1
 したがって、亀がアキレスに追いつかれる位置X∞は最初の亀の位置から1mのところということになる。それにかかる時間は1秒である。その瞬間にアキレスは亀を追い越し、その後はアキレスのほうが先に行く!


 これにならって、私の前回の記事を分数で表せば、以下のようになる。

 アキレスは毎秒2mの速さだから、1m先の亀の出発点に到達したときは1/2秒後。
 亀は1/2秒間にアキレスの1/2m先に進んでいる。

 次にアキレスが亀がわずかに進んでいる地点、1/2m先に到達したときは、1/4秒後(トータルで1/2+1/4秒後)。
 亀は1/4秒で、1/4m先に進んでいる。

 次にアキレスが亀がわずかに進んでいる地点、1/4m先に到達したときは、1/8秒後(トータルで1/2+1/4+1/8秒後)。
 亀は1/8秒で、1/8m先に進んでいる。

 以上を繰り返しているのが「アキレスと亀」の構造。
 「おや?」と思うのは、1/2秒後→1/4秒後→1/8秒後と、時間の間隔が短くなっていくこと。
 実際には、1秒後の、亀のスタート地点から1m進んだ地点でアキレスが追いつき、追い越していくのだが、ゼノンが注目するポイントが1/2秒後→1/2+1/4=3/4秒後→1/2+1/4+1/8=7/8秒後となっていて、これでは1秒後に到達することがない。

 あれ?
 グレゴリーは「1秒後に到達する」って言ってんの?

 「無限個の和は1に収束する(どんどん近づいていく)」のには、私も同意する。
 1/2(0.5)→3/4(0.75)→7/8(0.875)→15/16(0.9375)→31/32(0.96875)→63/64(0.984375)
 初めの0.5から1にどんどん近づいていくのは明らか。
 でも1に到達することはない。
 数列においての「=1」は、「1に限りなく近づく(収束する)」という意味であって、「同等」ではないんじゃないの?

zenon02.jpg

 1を半分に分割したら1/2が二つ。
 1/2+1/2=1。
 1/2+1/4+1/4=1。
 1/2+1/4+1/8+1/8=1。
 1/2+1/4+1/8+1/16+1/16=1。
 ここで使っている「=」は同等を意味する。

 1/2+1/4+1/8+1/16…+1/2^n=1。
 これの「=」は同等ではなく、「収束する」という意味。

 この二つは、それぞれの意味において正しいが、しかし混同させるのは間違いだろう。
 1に収束するからと言って、「亀がアキレスに追いつかれる位置X∞は最初の亀の位置から1m」と答えを導き出すことはできない。
 
 1/2+1/4+1/8+1/16…+1/2^nに、さらに1/2^nを加えたら1になる。
 しかし「アキレスと亀」では、加えるのは1/2^nよりも小さな値だから1になることはない。
 1/2+1/4+1/8+1/8=1だが、
 1/2+1/4+1/8+1/16=15/16だから1にはならない。アキレスは亀を追い抜けない。
 その次も、1/2+1/4+1/8+1/16+1/32=31/32だから1にはならない。1に収束しているが、アキレスは亀を追い抜けない。
 これを無限に繰り返しても、1に限りなく近づくが、1になることはない。

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思考実験/アキレスと亀

 「アキレスと亀」で有名な古代ギリシャのゼノン。
 エレア派の哲学者で、エレア派の始祖であるパルメニデスの弟子であり、養子。
 「エレア」は地名。南イタリアにあった小都市。

 『ウィキペディア』によると、パルメニデスが紀元前500年か475年頃の生まれ。
 ゼノンは紀元前490年頃の生まれで、エレアを支配していた僭主ネアルコス(一説によればディオメドン)を倒そうとして捕えられ、紀元前430年頃、刑死。
 その一世代あとがソクラテスで、紀元前469年頃の生まれ。

 ↓『頭の中は最強の実験室』P23 「アキレスと亀」
 俊足のアキレスと鈍足の亀が競争する。亀はハンディキャップをもらって、少し進んだ地点からスタートさせてもらうことになった。
 いっせいにスタートして、アキレスが亀の出発点に到達したときには、鈍足の亀もわずかではあるが、その前に進んでいる。次にアキレスが、亀がわずかに進んでいる地点に到達したときには、今度も亀はごくわずかかもしれないがさらにその前に進んでいる。このくり返しは際限なく続くので、アキレスはいつまでたっても亀に追いつけない……


 ↓『頭の中は最強の実験室』P24
 この論理的結論は、現実に反していて不条理です。実際には、アキレスは、亀に追いつきそして追い越すことは明らかです。出発のときのハンディキャップと速さの違いから、何秒後に追いつくかもすぐ計算できます。
 簡単のために、アキレスと亀の速さをそれぞれ毎秒2mと毎秒1mとしましょう。亀はアキレスの前方1mからスタートすることにします。すると、右図のように、1秒後には亀とアキレスは同じ位置にいますね。つまり追いついています。

zenon01.jpg

 ↓『頭の中は最強の実験室』P26
 (アリストテレスは)「アキレスと亀」は、ゼノンの論証に誤りがあるのであって、パラドックスではないと言います。ゼノンが結論を導く論法は、アキレスが前回に亀がいた位置まで進むという操作を「無限回」くり返しても、まだ亀はアキレスの前方にいるという論法です。これはすなわち、「アキレスが亀を追いかけている過程にある限り、アキレスは追いつけない」とあたりまえのことを言っているにすぎないとアリストテレスは断じました。

 アキレスが亀を追い抜いていない範囲に限定して、規則的にポイントを設定しているだけにすぎない、と。
 結論としては、これに尽きると思うが、まずは「アキレスと亀」を解明してみよう。

 アキレスは毎秒2mの速さだから、1m先の亀の出発点に到達したときは0.5秒後。
 亀は0.5秒間にアキレスの0.5m先に進んでいる。

 次にアキレスが亀がわずかに進んでいる地点、0.5m先に到達したときは、0.25秒後(トータルで0.75秒後)。
 亀は0.25秒で、0.25m先に進んでいる。

 次にアキレスが亀がわずかに進んでいる地点、0.25m先に到達したときは、0.125秒後(トータルで0.875秒後)。
 亀は0.125秒で、0.125m先に進んでいる。

 以上を繰り返しているのが「アキレスと亀」の構造。
 「おや?」と思うのは、0.5秒後→0.25秒後→0.125秒後と、時間の間隔が短くなっていくこと。
 実際には、1秒後の、亀のスタート地点から1m進んだ地点でアキレスが追いつき、追い越していくのだが、ゼノンが注目するポイントが0.5秒後→0.75秒後→0.875秒後となっていて、これでは1秒後に到達することがない。

 さて、「時間の間隔が短くなっていく」とは言うが、実際の時間が変化しているのではない。
 時間は、普通に定数的に経過している。
 また、アキレスの速度が遅くなっているわけでもない。
 ゼノンは、アキレスと亀の競争をハイスピードカメラで撮影して、0.5秒後、0.75秒後、0.875秒後の写真を見せて「ほら、アキレスは亀に追いつけない」と言っているだけ。
 カメラには、1秒後に追いつき、2秒後にアキレスが亀を追い抜いている写真も撮られているが、それをゼノンは隠している。
 「アキレスが亀を追いかけている過程にある限り、アキレスは追いつけない」と言うアリストテレスの理解が正しいだろう。

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思考実験/臓器くじ

 ↓『頭の中は最強の実験室』P19 「臓器くじ」
 ある社会では次のような制度がある。社会全体の健全な肉体をもつ者のなかからくじ引きで1人に死んでもらい、その臓器を切り取って、別々の致命的な病気をもった5人に移植して5人の命を助けるというものである。あなたは、この制度についてどう思うか?

 消極的殺人で5人を見殺しにするのか、積極的殺人で1人を殺して5人を救うのか、という問題。

 臓器移植が必要な人を死なせることを消極的殺人とするのが、この問題の詭弁。
 病気の5人を見殺しにするのは殺人ではない。
 健康な肉体を持つ者から臓器を取る殺人は許されない。

 しかし、これが「羊飼い」の話なら。
 1匹の健康な羊から臓器を取って、5匹の羊を生かすほうが利益が多いだろう。

 功利主義は羊飼いの話では通用するが、それを人間社会に持ち込まれても困る。

 ただし、これがもしも戦争中の軍隊だったら。
 A国は1人を生かすために5人を見殺しにする。
 B国は5人を生かすために、1人を殺す。
 A国の兵士は1人。B国の兵士は5人。
 A国で生かされた1人の兵士も、B国の兵士5人に殺され、戦争はB国が勝利する。
 軍隊においては、功利主義で考えたほうがいいだろう。

 また、戦争中の一般社会においても。
 総力戦で、どれだけ多くの物資を作れるかという状況なら、人的資源を多く確保したほうが勝利する。

 だから、戦争が身近にある世界であれば、功利主義が採用されるだろう。
 しかしそれは、国を存続させるものではあっても、人間社会においては不適応であるから、批判を受けることになる。

 ↓『頭の中は最強の実験室』P21 「野戦病院での薬の配分」
 ここに1人の患者Aと、A以外の5人の患者がいる。全員激痛に苦しんでいる。患者Aは将官で、Aのもとには後方基地より鎮痛剤が送られてきた。その鎮痛剤をAに投与すれば1日中彼は苦しまないですむ。しかし、同室の5人の患者は、患者Aとは体質が異なり、1/5の量で1日中苦しまないですむ。
 あなたは医師である。Aの薬を取り上げて、5人の患者に投与するか、本部の命令を順守するか、どちらだろうか?


 軍医であるなら羊の一匹にすぎないのだから、羊飼いである本部の命令を順守するべきである。
 しかし、自分がたまたま通りかかったフリーな医者で、たまたま鎮痛剤を持っていたという設定なら、5人に投与する。より多くを救えるほうに使うだろう。

 まとめ。
 功利主義は羊飼い(人間飼い)の理屈。
 人間社会で功利主義はナンセンス。
 しかし、戦争中であれば、社会は功利主義的になるだろう。倫理よりも功利が優先される。
 功利主義が生まれた、ベンサムが生きた時代がそうだったのだろう。

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思考実験/トロッコ問題

 アルコールでニブった頭のリハビリで、思考実験でもしてみよう。
 昔、『頭の中は最強の実験室』(榛葉豊・化学同人)という本を買ったけど、ぜんぜん読んでいなくて。
 だって最初が、船が難破して救命ボートで脱出。でも食料がなくなって衰弱した人を殺して食べた、という「ミニョネット号事件」の話。
 いきなり読む気が失せて、それっきり。

 まぁ、それは飛ばして、本題の「トロッコ問題」。
 ハーバード大のマイケル・サンデルによって有名になった問題。

 ↓ウィキペディア「トロッコ問題」
まず前提として、以下のようなトラブル (a) が発生したものとする。
(a) 線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。

そしてA氏が以下の状況に置かれているものとする。
(1) この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?

なお、A氏は上述の手段以外では助けることができないものとする。また法的な責任は問われず、道徳的な見解だけが問題にされている。あなたは道徳的に見て「許される」か、「許されない」かで答えるものとする。
つまり単純に「5人を助ける為に他の1人を殺してもよいか」という問題である。功利主義に基づくなら一人を犠牲にして五人を助けるべきである。しかし義務論に従えば、誰かを他の目的のために利用すべきではなく、何もするべきではない。


 ウィキペディアでは、自分は全く関係がない人という設定だが、『頭の中は最強の実験室』では、自分はポイントの切り替え係となっている。自分はこの事故の関係者。
 マイケル・サンデルの『白熱教室』では、トロッコではなく路面電車の運転手という設定で、『頭の中は最強の実験室』と同じような設定。

 『白熱教室』の設定で、自分の運転で線路を選ばなければならない場合、これは1人のほうを犠牲にします。
 どちらかを選択する義務があるのであれば(自分の罪が避けられないのであれば)、より軽い罪のほうを選択します。

 このトロッコ問題にはバリエーションがあって。
 ↓ウィキペディア「トロッコ問題」
では次のような派生問題ではどうだろうか。A氏はやはり(a)の状態にあるが、(1)ではなく次の(2)の状況に置かれている。
(2) A氏は線路の上にある橋に立っており、A氏の横にC氏がいる。C氏はかなり体重があり、もし彼を線路上につき落として障害物にすればトロッコは確実に止まり5人は助かる。だがそうするとC氏がトロッコに轢かれて死ぬのも確実である。C氏は状況に気づいておらず自らは何も行動しないが、A氏に対し警戒もしていないので突き落とすのに失敗するおそれは無い。C氏をつき落とすべきか?

前述の問題と同様、A氏にはつき落とすかつき落とさないかの選択肢以外は無いものとする。C氏ほど体重の無いA氏が自ら飛び降りてもトロッコを止められず、またその事実をA氏は理解している。


 C氏を突き落したら、私が1人を殺したことになる。殺人事件。
 C氏を突き落さない場合、5人が死ぬことになる事故だけど、その責任は鉄道会社になる。
 私はC氏を突き落したりしない。
 社会や法が、私に殺人者になることを要求することはないだろう。

 ↓『頭の中は最強の実験室』P16
 「人間の快楽や幸福は計量化でき、他人の快楽や幸福と比較・換算ができる。そして社会全体の幸福の総和を最大化するような選択をすべきだ」と考えるのが、イギリスの法哲学者ジェレミ・ベンサム(1748~1832)に始まる功利主義です。「最大多数の最大幸福」をめざします。

 どちらの問題でも、常に1人を犠牲にして5人を生かすのが功利主義というものらしい。

 多くの人は、最初の問題では1人を犠牲にするが、次の問題ではそうはしない。5人を見殺しにする。
 功利主義に反した判断をするのが不思議だね、というのがトロッコ問題。
 「不思議だね」と言うよりも、功利主義は現実的ではない、と言うべきだろう。

 最初の問題は、自分が1人を殺すか、5人を殺すか、という問題で、多くの人が1人と答えるのは納得できる。罪が軽いほうを選択する。
 次の問題は、殺人を行うかどうかの問題で、多くの人が殺人をしないと選択するのも当然だろう。これも罪が軽いほう、と言うか、罪にならないほうを選択した。

 ウィキペディアのように、最初の問題も自分に無関係な事故であるなら、多くの人は殺人をしない、という選択をするだろう。
 しかし、それだと最初の問題と次の問題に違いはないので(殺害方法だけの違い)、ウィキペディアの記述が間違っているのではないかと思う。

 さて、功利主義とは、どのような発想なんだろうか?
 たとえば自分が羊飼いだったとして。
 線路に羊が逃げ出してしまった。
 ポイントを切り替えて1匹を犠牲にするか、5匹を犠牲にするか?という問題だったら、当然、1匹を犠牲にするだろう。
 5匹の羊を救うために、1匹の羊を突き落すのにもためらいはない。
 こういうケースなら功利主義で考えられるだろう。

 しかしこれが人間であった場合。
 私は「人間飼い」ではないので、そのような選択はしない。

 ベンサムは、「人間飼い」として、上から目線で考えていたのではないかと思う。

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マルクス

 お盆休みの6日間でマルクス関係の簡単な本を3冊しか読めなかった。

 『図解雑学マルクス経済学』松尾匡(ナツメ社)P96
たとえば、銀行が貸し付けを膨らませて経済全体で過剰な設備投資が行われたために、世の中が需要超過になって物価が上がって賃金が目減りしたしたとしましょう。

 大丈夫なんですかね?この大学教授。
 過剰な設備投資が行われれば「供給」が増えます。
 新しく工場を建てたら製品が増えるじゃん。
 なんで需要が増えると思ったんだろう?
 で、供給が過剰になったら物価が下がります。
 まぁ他の箇所での「需要と供給」は正しく使えていたから、ここでだけアホになったんだと思うが。
 この本は読む価値がなかった。

 『FOR BEGINNERSマルクス』橋爪大三郎(現代書館)P109
機械設備に投資することで、労働力に対して機械設備の比率が増えていくだろう。(中略)これに伴って、利潤率が下がってしまう。

 それは間違い。
 利潤率を増やすために機械設備に投資するわけで、利潤率が下がるなら投資するわけがないじゃん。
 「価値とは労働である」という前提だから、労働が機械にかわると価値が減る。利潤が減る、という理屈らしいけど。
 まぁ機械化で大量生産されるようになると価格を下げることができるから、製品一つ当たりの利益は減るかもしれないが、大量に販売することで利益は増える。

 『FOR BEGINNERSマルクス』橋爪大三郎(現代書館)P49
 マルクスは、労働価値説で一貫したかった。
 そこで、地代は、無視することにした。
(中略)
 では、国際貿易はどうか。
 外国をなくすわけにはいかない。外国がある限り、労働価値説は成り立たない。そこでマルクスは、外国を無視することにした。だから『資本論』は、一国モデルで、外国貿易を扱わない。外国を無視し、一国で完結する、抽象的な資本主義のモデルなのである。


 そこ、ちゃんと考えないとダメじゃん。
 こんなにガバガバなのに、これを根拠に革命を起こされても困る。
 「マルクスの経済論は幼稚」という感想しかない。
 でも『FOR BEGINNERSマルクス』は読みやすかった。

 それに比べて『はじめてのマルクス』佐藤優・鎌倉孝夫(金曜日)。
 なんだこれ?
 『はじめてのマルクス』ってタイトルにしてはいけない本。
 そういう内容ではない。

 3冊だけだがマルクス関係の本を読んで。
 経済論を期待しているのにその部分は内容が薄くて社会論になってしまう。
 そうじゃないんだよね。
 社会論には興味ないし。

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