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消費増税延期を示唆

 ↓『産経新聞』自民・萩生田氏、消費増税延期を示唆「6月の日銀短観次第」(2019.4.18)
 自民党の萩生田(はぎうだ)光一幹事長代行は18日のインターネット番組で、10月に予定する消費税率10%への引き上げに関し日銀の6月の企業短期経済観測調査(短観)で景況感が悪ければ3度目の延期もあり得るとの考えを示唆し、増税先送りの場合は「国民に信を問うことになる」と述べた。萩生田氏は安倍晋三首相の側近で知られ、永田町では首相が夏の参院選と衆院選の同日選を視野に入れているのではないかと臆測を呼んだ。

 統一地方選挙での経済界の働きがニブイのだろうか?

 次の日曜の選挙で結果を出さなかったら・・・。

 みたいな話に思える。

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MMTはブードゥー経済学

 ↓『ロイター』アングル:「財政赤字は悪くない」、大統領選にらみ米国で経済学論争(2019年3月8日)
ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン氏とローレンス・サマーズ元米財務長官は過去3週間、ツイッターやテレビ、新聞のコラム欄を活用して、ニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授に反論を重ねてきた。
ケルトン教授は、政府予算や財政赤字は完全雇用やインフレを実現するために積極利用すべしという「現代金融理論(MMT)」の強固な提唱者で、2016年の前回大統領選ではバーニー・サンダース上院議員の顧問を務めた。
ケルトン氏の主張に対し、クルーグマン氏は「支離滅裂」と一蹴し、サマーズ氏はワシントン・ポストのコラムで新たな「ブードゥー経済学(魔術のようで理論的に怪しいとの意味)だ」と批判した。


 現代金融理論(モダン・マネタリー・セオリー)は、ブードゥーだと思う。
 私が言う「ブードゥー」は、サマーズとは違って「ゾンビ企業を延命させている」という意味。

 でも、経済破綻はしないんじゃないの?
 経済的な不公平が大きくなり、生活が困難になっていくだけで。

 ケルトンは破綻する可能性もあると言うが、私はないと思う。
 それは社会的には(国家としては)という意味で、個人個人の生活破綻は増えていくと思う。

 ブードゥーをやめたときが問題。
 その問題は、ブードゥーを続けるほど大きくなる。
 「それはバブルなのか?」というと、ちょっと違う。
 ブードゥーをやめたら破滅するんだから続ければいい、というのは一理ある。

 ただ、団塊の世代をかかえる日本においては、その世代がお亡くなりになるまでのブードゥーはしょうがない気もする。
 団塊の世代は70歳ぐらい。
 政府はいつまでブードゥーを続けるつもりなのか?という問題。

 現代では「人口問題は戦争で解決する」という古来の方法はできなくなった。
 それに代わるものとしてブードゥー経済学。
 社会実験として一つの知見を得ることができるかも。

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唯一神だと思っているそれはヤハウェなのか?



 こういうのって多神教的な神概念だと思うんだけど。
 古代ギリシャや古代ローマのゼウス(ユピテル)信仰とは違うの?

 ゼウス信仰だから歌とか絵画とか、偶像崇拝することができる。
 ”ヤハウェ”は偶像崇拝できない。
 「偶像崇拝してはいけない」というより、できない。
 偶像にできるものは”ヤハウェ”ではない。

 ジョーン・オズボーンは、よく異端審問にかけられなかったな。
 キリスト教徒のうち、”God”をジョーン・オズボーンのように考えている人はどのぐらいいるんだろう?

 いや、”ヤハウェ”と”神”は異なる概念だから、多神教だった古代ユダヤように”ヤハウェ”と”神”は併存してもいいと思うけど。
 ”ヤハウェ”を考えたモーセがそうだから、古代ユダヤは多神教だったんだろうし。

 でも、紀元前597年にバビロン捕囚があって、「多神教だからこんなことになった」ということで、一神教になったらしい。
 仏教は上座部から大乗へと大衆化したが、ユダヤ教はバビロン捕囚という環境で先鋭化したのだろう。

 で、イエスはその約600年後の人だから、イエスの頃にはユダヤ教はバリバリの一神教。
 イエスのナザレ派は、ユダヤ教に「赦し」という要素を加えた。

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唯一神

 ↓『ネタりか』ローマ教皇、メッシを神と呼ぶのは「冒涜」(2019/4/13)
ローマ教皇が、サッカーのリオネル・メッシ選手を“神”と呼ぶのを止めるよう訴えた。
教皇は、それが神への冒涜であり、自身はメッシを“神”とは考えないとして、サポーターたちにその言葉を使わないように呼びかけている。
スペインのテレビで、メッシが”神”とあがめられていることについて尋ねられた教皇は、「理論的に言えば、それは冒涜です。言うべきことではありません。私はそう考えていません」と答えた。
教皇は称賛の意味で“神”という言葉が良く使われてはいるものの、メッシは“神”でないと強調し、「人々は敬愛の意味を込めて彼を“神”と読んでいますが、唯一の神だけが崇拝されるべきなのです」「『彼はピッチでボールを持つと“神”だ』と言うのは、自分の考えを表現するのによく使われています。彼のプレーは見る人を楽しませてくれますが、“神”ではないのです」と続けた。


 古今東西、普通の人と比べられないくらい優れている者は”神”と呼ばれる。

 ただし、”神”と”ヤハウェ”は違う。
 ”神”という概念は自然に獲得するものだが、”ヤハウェ”はある種の気づき・発見が必要となる。

 ”ヤハウェ”は、いつ、誰が発見したのだろうと思って。
 モーセがシナイ山に登ったのが起源なんだろうか?

 「1+1=」という問題があったとして。
 「3」だとか「7」だとか、私たちは自分の好きな数字を言い合うだけだが。
 で、たまたま「2」と答えが偶然合う人がいて、その人は天才と称される。
 イエスは、計算して「2」と答えられる人。計算の仕方を使徒たちに教えた人。
 モーセは、数字の「0」を発見した人。
 と考えると、モーセはスゴイ。

 モーセの”ヤハウェ”を、イエスの時代のローマ人に布教するときに。
 ローマ人には”ヤハウェ”という概念がないから、ローマ人も理解できる”神”として教えたのだろう。
 ローマ人は、「神々の中で最強なのが”ヤハウェ”。それ以外は神ではなく、信仰してはならない」と、多神教的に理解したのではないのか?

 「メッシは”神”と称されるほど優れているが、”ヤハウェ”ではない」
 と答えるのが正解じゃないか?

 ただし。
 ”ヤハウェ”を信じているがゆえに、優れた人物”神”になる。
 しかしメッシは”ヤハウェ”を信じていることによって、サッカーで優れたプレーができるわけではない。
 たまたま「2」と答えた天才。
 そういう意味では”神”と称賛するべきではない。

 キリスト教徒って「唯一神」が何か、分かっているんだろうか?
 多神教的に「唯一神」を考えているわけではないよね?
 「イエスの神を信じている」というのは、多神教的ですよ。
 信じるのは”ヤハウェ”です。

 ”神”の亜流が”ヤハウェ”ではなく。
 ”神”と”ヤハウェ”は違う概念。

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